福岡地方裁判所柳川支部 昭和49年(わ)33号 判決 1979年9月07日
主文
被告人は無罪。
理由
第一前提となる事実と当事者の主張
被告人は昭和四九年七月七日施行の参議院議員通常選挙に際し、同年六月二七日午後七時三〇分から柳川市民会館で福岡県地方区から立候補した高倉金一郎の個人演説会ならびに同候補の応援に来た春日正一の応援演説会が開催されるにあたり、右演説会への出席参加を勧誘するため、同日午後三時ころから午後六時ころまでの間、柳川市内の商店街において別紙一覧表記載の一五軒を含む約一〇〇軒の商店、事業所の店頭に、前記演説会開催の日時場所、演説者氏名等を掲載した赤旗号外を配布し、その際店頭に居あわせた商店主らに対し、「演説会があるけん聞きに来んかんも」あるいは「支持するせんは別として演説会を聞きに来て下さい」等と声をかけたものであって、以上の事実は《証拠省略》により認められる。
検察官は被告人の前記一五軒についての右行為につき公職選挙法(以下公選法という)一三八条二項における選挙運動のため戸別になされた演説会の告知行為に該当するとし、従って同条一項において禁止された戸別訪問とみなされる旨主張する(公訴事実は別紙のとおり)。
これに対し弁護人、被告人らは、(1)本件公訴提起は客観的嫌疑なく、訴追裁量を逸脱しており、かつ違法捜査にもとづくものであるから公訴権を濫用したものとして公訴棄却さるべきである、(2)公選法一三八条は憲法二一条に違反するので無罪である、(3)被告人の行為は赤旗号外の配布に付随した挨拶にすぎず公選法一三八条二項に該当しないので無罪である、(4)被告人の行為は可罰的違法性を欠くので無罪である旨主張する。
第二本件公訴提起の適法性について
検察官の公訴提起にあたりその権限行使が濫用にわたるものであったときは公訴提起は許容されず刑訴法三三八条四号により公訴棄却の裁判がなされるべきであること、公訴権濫用に該当する場合としては(1)客観的嫌疑なき起訴である場合、(2)訴追裁量を逸脱した起訴である場合、(3)違法捜査にもとづく起訴である場合、であることについては当裁判所も同様に考える。
(1)ところでまず客観的嫌疑の存否については後に第三、第四でみる如く公選法一三八条二項の違憲性を別とすれば、被告人の行為は同条項に該当するものであるから右嫌疑が存在したことは明らかである。(2)次に訴追裁量の逸脱の有無についてみるに、《証拠省略》によれば、柳川地方においては従来各種選挙において酒食の饗応等が広範囲に行なわれており、本件起訴の翌昭和五〇年の県会議員選挙において二百名以上の者がこれにより略式起訴され処罰を受けたものの依然として改まってはいないというのであり、被告人はこのような実質犯の取締を野放しにして、例え公選法一三八条二項に該当するにしても軽微な形式犯にすぎない本件行為を起訴したのは極めて不当である旨強調する。警察検察は嫌疑あればこの種実質犯に対しても勿論厳正な捜査をするべき責務を有することは言うまでもないが、さればと言って本件行為とその起訴が直ちに軽微であり違法であるとまでは評価できないのであって、公選法一三八条二項を前提とする限り、検察官の本件公訴権の行使は権限の範囲内のものと解さざるを得ない。(3)さらに違法捜査の有無についてみるに、被告人は、司法警察職員(当時の柳川警察署警備課長)作成の昭和四九年七月三日付捜査報告書に添付された被告人の顔写真について報告よりも早い時期から警察にあったもので隠し取りされたものと思われること、警察が本件号外の配布先に対する聞き込み捜査を投票日前から行ない市民に圧力をかけたこと、自宅の捜索に際して警察は捜索場所以外を含めた詳細な配置図を作成したこと、必要性もないのに逮捕に及び大々的にマスコミに報道したこと、また捜査が初めから県警本部や検察庁と一体となっていたものであること等を指摘供述して本件捜査が政治弾圧としての違法なものであることを強調する。しかし右の指摘のうちには個々の捜査のあり方として不当なものとなる可能性あるものを含んでいるにせよ、本件全証拠の範囲ではこれらをもって本件公訴提起を違法たらしめるほどに違法な捜査であったとはいまだ評価し難い。
以上の検討からは本件公訴提起は適法なものと考えられる。
第三公選法一三八条二項該当性について
公選法一三八条二項は、同条一項が「何人も、選挙に関し、投票を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもって戸別訪問をすることができない」と規定するのをうけて、「いかなる方法をもってするを問わず、選挙運動のため、戸別に、演説会の開催若しくは演説を行なうことについて告知をする行為又は特定の候補者の氏名若しくは政党その他の政治団体の名称を言いあるく行為は、前項に規定する禁止行為に該当するものとみなす」と規定する。被告人の前記行為についてみるに、赤旗号外の配布自体をもって告知行為とは解されないが、本件起訴にかかるすべての場合について演説会への参加出席を促しており、右号外の記載内容とあいまって前記演説会について具体的な日時、場所を含めて告知したものと評価することができるのであって、被告人においては声をかけることに主たる目的はなく、配布の際に居あわせた商店主らに対する儀礼的なあいさつとして声をかけたものであったとしても、このことにより告知行為たる性質が失なわれるとは解されない。そして本条項にいう「選挙運動のため」とは特定の候補者に投票を得させるについて直接または間接に必要かつ有利なすべての行為をさすものと解されるのであって、被告人の右告知行為も前記演説会への参加出席により前記高倉候補の政策等を知らしめこれにより最終的には同候補へ投票を得さしめようとするものであることは明らかであるから「選挙運動のため」と評価される。従って被告人の前記行為は公選法一三八条二項にいう、選挙運動のためにする演説会の告知行為に該当するということができる。
第四公選法一三八条二項の違憲性について
一 選挙における政治的言論の保障について
憲法二一条一項は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と規定しているのであるが、政治的言論の自由はその中核とも言うべきものであって、何人も自己の政治上の見解を他に訴え同調者を獲得することを保障されるべきことを意味するのであり、議会制民主主義のもとにあっては特に選挙において選挙人の投票を得、もしくは得させるべく政治上の見解、施策の説明、候補者の人柄の宣伝およびこれらをもととしての投票への依頼、説得等の活動を保障するものでなければならない。すなわち個々の国民は主権者の一人として自ら当選すべく候補者として右のような活動を行ない、あるいは他を当選せしむべく選挙運動者として右のような活動を行ない、さらには一投票者として自己の判断資料とするために他の者による右のような活動に接触することが等しく保障されなければならない。
このように選挙運動は政治的言論の最も重要な表現形態として尊重されるべきであり、個々の選挙運動は、選挙運動全体を通じて右のような政治的言論の自由が適正に行使されることを妨げる場合その他合理的理由ある場合にのみ、公共の福祉に反するものとして制約することが許されると解するべきであって右合理的理由を幾分詳しく挙げれば次のような場合であろう。すなわち買収、利益誘導の如き民主主義の理念に反するような選挙活動は当然として、これらの活動に結びつき、発展する蓋然性の強い活動である場合、一部特定の候補者、選挙運動者を利し候補者間のいわば機会均等を損うような活動である場合、その他当該選挙活動によって他の者の生活、営業等の権利を侵害するような場合等である。しかもこれらの場合であっても直ちに無制限の制約が許されるわけではなく、その限度は必要やむを得ないものでなければならないと解される。選挙運動が政治的言論の内容そのものではなくその表現形態にすぎないことを理由にこれを制約する限度がより緩和されたものでさしつかえないとする見解は正当とは考えられない。けだし政治的言論は選挙という特定の時期に特定の対象者の支持、同調を得てこそ最も価値を有するのであり、そのために有効な表現形態は自ずと限定されるのであって、他の種類の言論(例えば宗教的言論)に比較して内容と表現形態とが極めて密接に関連しており、規制においても内容と表現形態とを別異に取扱うべきではないと考えられるからである。
二 演説会告知行為の性質
前記のように選挙における政治的言論は見解、施策の説明、候補者の人柄の宣伝、これらにもとづく投票依頼、説得等として表現されるのであるが、これらはまず候補者ないし選挙運動者が個々直接に選挙人に接触することにより簡便かつ効果的になされ得るのであり、その方法としてはまず自己の従来の知人等を対象とするのが通例であろうが、次第に面識のうすい者に対し戸別網羅的に訪問して訴えるようになっていくのはきわめて自然のことであって、このような接触は資金力の多寡を問わずすべての候補者、選挙運動者が平等になし得ることであるから、その意味で戸別訪問による投票依頼等が最も基本的な選挙運動として重要な意義を有するものであることは種々説かれているとおりである。そしてまた右の説明、宣伝等はその他に演説会での接触や文書、各種報道手段を通じてのいわば間接的な接触によってもなし得るのであるが、ことに演説会については古くから洋の東西を問わず自己の政治上の識見、抱負、施策について多数の聴衆に直接説明宣伝し訴えていく基本的な政治活動であり、資金力を有せず報道手段等を利用し得ない者にとっても比較的簡便になし得るところから、戸別訪問による投票依頼とはまた別の意味で基本的な選挙運動と言うことができる。このような演説会は後日改めての個々直接の投票依頼を予定している場合もあろうしそうでない場合もあろうが、演説会自体としては直接には施策等の説明宣伝を選挙人に知らせることを目的とするものであり、そのために選挙人に対し演説会への参加出席を促し勧誘することが極めて重要なものとなるであろうことは当然であろう。その手段としてはやはり選挙人に対する個個直接の働きかけが最も有効で手軽な方法であることも当然理解されることである。演説会の告知はまさに右のような行為であって、選挙人に対する個々直接の接触であるという点で戸別訪問による投票依頼とは外見上類似することがあるにせよ、その実質においては自ずと異なった意義をもつものであると言うことができる。
(ちなみに二項の行為のうち候補者名や政党名等の言い歩き行為についてはさらに別途の評価を要する。これらの行為は候補者名の知名度を高めるうえで有用な行為ではあるが、知名度のみによって選挙人の投票が決せられるものとは本来考え難く、施策や人柄についての知見が伴なって投票が決せられるものであるから、演説会の告知行為が右知見を得させるためのいわば補助手段であるのに比し投票との関係ではさらに結びつきの弱い行為と評価される。もっとも我国の選挙の現状において知名度の果している役割を重視すべきであるとの見解もあり得ようが、これは後に触れるように施策や人柄についての知見を基礎とした候補者や選挙運動者と選挙人の接触が規制されている結果政治的無関心に準ずるものとして知名度により投票を決している実状を示すものであろうし、しかも政党名等が政党等の本来の政治活動に伴なって使称されるであろうことを考えるとこれら言い歩き行為そのものを選挙運動の一つとして評価することには疑問がある。本件においては演説会の告知行為が問われているため、右言い歩き行為については以下検討を省略するが、そのもたらす弊害なるものについては別途充分な検討が必要であろう。)
三 説演会告知行為の禁止、処罰の根拠について
(一) はじめにまず公選法一三八条二項の制定経過を一項のそれとの関係でみるに、周知のごとく一項の規定は古く大正一四年に当時の衆議院議員選挙法の改正によりいわゆる男子普通選挙が導入された際にこれと同時に他の取締法規とともに新設されたもの(同法九八条一項「何人ト雖投票ヲ得若ハ得シメ又ハ得シメサルノ目的ヲ以テ戸別訪問ヲ為スコトヲ得ス」)であり、昭和二二年制定の参議院議員選挙法においては一旦これを自由とした法案が成立したのちほどなく衆議院についてと同様の禁止規定が改正追加され、その後昭和二五年にこれらが統合されて現行の公選法が制定された際に継承維持されたものであるのに対し、公選法一三八条二項の規定と同趣旨のものは従前の衆参両院の議員選挙法にはあらわれず、右公選法制定の際にはじめて設けられたものである。
右一三八条二項新設の趣旨は立法審議の過程で詳細にされてはいないのであるが、演説会等の告知行為や候補者名等の言い歩き行為がいわゆる戸別訪問とまぎらわしく、また脱法的に行なわれているということが禁止の理由としてあげられている。これらの行為が戸別訪問の類似行為あるいは脱法行為と称されている所以でもある。
しかし大正一四年にいわゆる戸別訪問禁止規定が設けられた際には「専ら情実に基く投票を哀訴嘆願するの醜態を敢てせり」と言われたような投票依頼が戸別に行なわれていた状態が制定の前提となっていたことが立法記録上窺われるのであり、従っていわゆる戸別訪問禁止規定は投票依頼のための戸別訪問を対象として制定されたものと解されるのである。しかるに演説会告知行為の如き投票依頼と実質的に異なる行為が戸別訪問の類似行為あるいは脱法行為として取扱われるに至った背景としては、いわゆる戸別訪問禁止規定が構成要件としては「投票を得る目的」での「戸別訪問」としか掲げていないところから、解釈上投票依頼のための戸別訪問に限定されず制定経過に照らしていわば拡張的に解釈され、選挙人との戸別の(すなわち一般公衆の目につきにくい場所での)個々直接の接触全般を広く含みかねないようなものとして考えられるようになっていたため、前記のような告知行為や言い歩き行為も一項の戸別訪問といわば紙一重のものであると安易に類似視されたものと考えられる。そのため告知行為等のもたらす弊害についてもその行為の実質をふまえた検討が立法審議において尽されておらず、一般的にも一項の戸別訪問のそれと同一である如く説明されているにとどまるのであって、本件においても検察官は通常一項の戸別訪問について言われるのと同様の弊害、すなわち(1)その機会を利用して買収などの悪質不正な違反行為が行なわれる(いわゆる不正行為温床論)、(2)選挙運動をする側において互いにこれを無制限に競いあい過当な労力を要する結果となって選挙の公正が阻害される(いわゆる無用競争激化論)、(3)選挙人の側の平穏が害される(いわゆる迷惑論)旨主張するのみである。
これら弊害なるものが一項の戸別訪問において果して認められるか否かについては甚だ疑問であり、肯定する立場から充分に説得力ある説明がなされているとは言い難いのであるが、二項の告知行為においては先にみたような独自の選挙運動としての性質からしてこれら弊害なるものはなお一層認められないのであって、以下(二)ないし(四)において逐一その理由を検討することとする。
(二) 不正行為温床論
戸別訪問に買収等の不正行為が随伴するとは必ずしも言えないことはしばしば指摘されるところである。すなわち買収事犯等についてみた場合に戸別訪問の機会を利用してなされたものが相当程度あるであろうことは言えても同時に別の機会を利用してなされたものも少なからずあるであろうこと、また買収事犯等を伴なわない戸別訪問もすこぶる多いであろうことも容易に想到し得るのであって、戸別訪問が買収事犯等と密接不可分とは言えないことは勿論、比較的高い確率で随伴しているとも言えず、従って戸別訪問をもって買収事犯等の温床であると断定するのはいかにも粗雑な議論と言わざるを得ない。なぜならば戸別訪問と称されるうちにも種々の形態があり得るのであって、投票依頼を中核とすべきであることは先にふれたとおりであるが、その場合でも情実に訴えるのみの投票依頼もあれば施策等の説明、宣伝をふまえた理性的な投票依頼もあるであろうし、また投票依頼にわたることをさしひかえ施策等の説明、宣伝にとどまる場合(本来の戸別訪問に含めてよいかは別として)もあろう。大正一四年に買収事犯の温床になるとの評価をうけて規制の必要の根拠とされたのは右のうち第一の形態すなわち情実に訴えたのみの投票依頼であったと解されるのであり、これに限定して考えれば温床という評価もあながち見当はずれとは言えないかもしれない。なぜならこのような場合には依頼の対価としての買収なしには依頼が功を奏しないこともあり得るからである。しかしこれに対して演説会告知行為の如きはそもそも右のような投票依頼とは全く性質の異なる行為であって、買収等につながる契機を欠いていることは明らかである。(もっとも演説会の告知行為には参加出席の依頼が伴なうこともあろうが、このような依頼がその対価としての買収に発展する可能性は殆んど考えられないと言えよう。)
さらに「温床」たるゆえんを、右のような投票依頼の有無にかかわらず、選挙人の居宅その他一般公衆の目の届かない場所で選挙人と個々直接に接触すること自体に求める考えがあるとすれば、それはあまりに取締の便宜のみに堕した見解であって顧慮の限りではない。
以上の如く演説会の告知行為については、不正行為温床論は到底妥当しないこと明らかである。
(三) 無用競争激化論
これは選挙運動をする側における負担、労力を問題とするものであるが、これについては例えば次のように説明されることがある。すなわち昭和二五年の公選法制定の際の一三八条一項には但書として「公職の候補者が親族、平素親交の間柄にある知己その他密接な間柄にある者を訪問することは、この限りでない」とのいわば候補者による戸別訪問のみ自由化されていたところ右但書が昭和二七年の公選法改正の際に削除されたのであるが、右削除理由の一つとして「候補者の側においても、多少なりとも関係のある選挙人に対して洩れなく戸別訪問をしておかなければ選挙の結果不利益を被るおそれがあると考え、必要以上に戸別訪問をするという予期しない弊害を生じたためである」というのである。
ところで一般的に候補者にとっての選挙運動の負担、労力についてみれば、できるだけ少ない負担、労力でできるだけ多くの投票を得ようと欲するであろうし、多くの投票を得るために必要とあれば可能な範囲内での負担、労力は甘受するであろう。また既に自己の当選に必要な投票を得る目途がついたと考える候補者が他の候補者の選挙運動を見てさらに自らも選挙運動を強化する必要ありと考えることもあろう。その結果としての負担の増加が候補者にとっていかに煩らわしいものであろうとも、結局は候補者にとっての利便の問題にすぎずその煩らわしさ自体はここでとりあげるべきものではない。戸別訪問についても、これを負担、労力と解した場合のその煩らわしさ自体は戸別訪問の弊害を考えるうえで格別とりあげるべき筋合のものではない。
そもそも候補者等選挙運動をする側の負担、労力を問題とする場合には、候補者の一部に不当な負担をかける結果立候補を断念する等の事態が生じないよう、いわば立候補にあたっての機会均等を保障するという観点から考えられるべきであり、かつそれで充分である。法定選挙費用の規制もその趣旨であって、資金力のまさる候補者が不当な利益を受けぬようさせるためのものであることは言うまでもない。では戸別訪問について同様の考慮を払う余地はあるであろうか。これについては動員力のまさる候補者が不当な利益を受けぬようにするためであると説かれることがある。しかしそもそも選挙運動とは既にみたように主権者たる国民が自己の信ずる政治上の見解、施策を他に訴え説得し、その同調者を獲得していく活動であり、説得を通じて選挙人を新たな選挙運動者に加えていく(戸別訪問に則していえば被訪問者を次の訪問者に加えていく)運動であるということができるのであって、動員力なるものは説得の結果であり、資金力と同一平面において比較されるべきものとは考えられない。このような説得を基礎とする戸別訪問は既にみた如く資金力の多寡を問わずすべての候補者、選挙運動者が平等になし得る最も基本的な選挙運動であるから、立候補にあたっての機会均等を保障するという観点からは、すべての選挙運動の形態の中で最も規制になじまず、すべての候補者らにまず平等に保障すべきものと言うべきである。
それでは右の点は演説会の告知行為についてはどうであろうか。右行為は戸別訪問による説明、説得と異なりいわば機械的にもなし得る比較的単純な行為であるから金銭の代償を伴なう労務として資金力の多寡が影響する場合もあることを否定できない。しかしだからと言ってこれを放任することによってすべての候補者の側において演説会のたびに告知行為をせざるを得ず、その結果資金力の差により現実にこれをなし得た候補者となし得なかった候補者との間の機会均等を損なうとまで言えるかは甚だ疑問である。なぜならば実際の選挙における候補者は企業その他各種の私的団体の支持支援を受けることが少なからずあり演説会を開催する場合にはこれら団体、組織を通じてその構成員に対する開催の周知徹底、参加出席の勧誘は極めて容易になされるためあらためて戸別に告知をする必要は乏しいであろうことは充分考えられるのであり、現実に戸別の告知行旨を必要とするのは多くはこれら団体、組織の支持支援を有しない候補者、選挙運動者であって自ら直接に個々の選挙人に知らせ勧誘することなしには演説会への参加出席を確保する有効な方法(すなわち看板等は別として)が存しない場合であろうと考えられるのである。従って演説会の告知行為を放任することは立候補の機会均等を回復するという側面もあるのであって、少なくともこれらを損うおそれはまずないものと解されるのである。
(四) 迷惑論
選挙人が居宅や勤務先に頻繁に訪問を受けることによって家事、業務が妨害され私生活の平穏が害され迷惑となるということ自体は一応顧慮に価するであろう。しかし他面で戸別訪問は候補者ないし選挙運動者から施策等の説明を個々直接に受ける貴重な機会でもあって選挙人にとっても有意義な側面もあるから、迷惑なるものも具体的な検討が必要である。
まず戸別訪問の際に執拗な投票依頼のみがなされた場合には選挙人の側で迷惑を蒙るということは考えられよう。またさまで執拗な投票依頼でなくとも依頼に対する選挙人の諾否を明らかにし難いために当惑するということは、例えば同時に複数の候補者の側から訪問を受けた場合についてあり得よう。これらは相手の依頼を拒否することによる関係悪化をおそれて自己の意思を明確に示すことを避けるという我国において従来往々にみられる傾向が選挙人の側における原因となっていること明らかであるが、これは訪問する側の節度もしくはルールの問題として今後考慮すれば足りると同時に基本的には選挙人の側において応諾、拒否あるいは諾否保留等自己の意思を明確に示すことを避けないようにすることが望ましく、そうしないことによる当惑感情を過当に保護すべきものとは考え難い。
次に投票依頼でなくいわばその前段階としての候補者の見解、施策等の説明がなされる場合にも時間的な長短によっては選挙人が迷惑することはあり得よう。しかしこれについても訪問者が用件(この場合は説明等)を明らかにするのに対し被訪問者の側で希望しない場合には拒否し得るのであるし訪問する側での節度、ルールの問題として今後考慮すれば足ることであろう。
さらに本件の如き演説会の告知行為についてはどうであろうか。これは訪問者による一方的な行為であり事の性質上ごく短時間ですむことであるから前述のような当惑、迷惑は(それ自体も過当に保護されるべきではないが)まず考えられない。もっとも中選挙区制ないし大選挙区制を採用する我国において候補者数も比較的多く、告知を受ける回数も多くなることが予想されるため、ごく短時間の家事や業務の中断についても煩らわしく感ずる選挙人があることも一応考えられないでもない。しかしこの程度の家事や業務の中断は日常生活における様々な対人的接触によっても多々生じ得るところであって、ことさら選挙の場合のそれを強調する必要があるとも考え難く、むしろ現在の諸規制のもとで変則的な選挙運動の一つとして行なわれている選挙カーによる連呼行為の如きと比較していずれが煩らわしいか一概に言えないものがあろう。
ただここで重視すべきは、選挙人の側に以上みてきたような接触の内容如何あるいは所要時間の長短を問わず、およそ選挙に関する候補者や選挙運動者との接触を一切煩らわしいものとする感情が存在しているかのように言われることがあり、それが様々の選挙運動の規制の根拠としてしばしば強調されているという点である。右のような感情がどの程度存在しているかは直ちには明らかにし難いとしても、ある程度の範囲にわたって存在することはおそらく否定できないであろう。右のような感情は広義の政治不信のあらわれであって、その原因として様々のものが考えられようが、一つの大きな原因としては選挙において戸別訪問等選挙運動者の側と選挙人との個々直接の接触が制約され、選挙人が情報の一方的な受け手にとどめられ、主権者として選挙の場において主体的に行動することが制約されているために疎外感ないし被害感情が国民の間に蓄積形成され、その結果として個々直接の接触に対しアレルギー的に反発嫌悪するようになったものと言うこともできるであろう。従って戸別訪問等の個々直接の接触を制約し続ける限り前記のような煩らわしいという被害感情はますます固定化されるものと考えられるのであって、選挙人の抱く被害感情をもって戸別訪問等個々直接の接触のもたらす弊害であると言うことはできない。
四 結論
以上の検討によれば、演説会の告知行為を禁止処罰すべき理由としてあげられる弊害なるものはいずれも認められず、公選法一三八条二項は合理的理由を欠くものと言わざるを得ない。仮にごく軽微な弊害があるとしても、既にみたように演説会という基本的な選挙運動に付随する戸別の告知行為を全面的に禁止することが必要やむを得ない制約であるとは到底解されない。現に本件起訴にかかる一五軒において被告人に応待した者はいずれも迷惑感情はもちろん、被告人の告知行為を違法とする考えは抱かなかったことが認められるのである。本来法制度は国民の健全な規範意識によって支持されるものでなければならず、本件告知行為の如き社会生活上自然のものとして是認視される選挙運動までを禁止することは、およそ戸別に選挙人との間でなされる個々直接の接触自体に弊害があるという過度の取締重視の考えにもとづくものと解されるのであって、その結果は法制度に対する国民の信頼感を失なわせ、選挙に関与することを躊躇させることにより政治に対する正当な関心を失なわせるおそれがあると言わなければならない。
以上の理由により演説会の告知行為を禁止した公選法一三八条二項の規定は憲法二一条一項に反するものとして無効である。
第五結語
よって被告人の本件行為は罪とならず、被告人は無罪であるから、刑訴法三三六条に従い主文のとおり判決する。
(裁判官 平湯真人)
<以下省略>